都営三田線西高島平駅

I27c 上は駅南口前の歩道橋からの新大宮バイパスの交差点の写真で、前後の高島平通りの陸橋の上をさらに首都高池袋線が左右に交差しています。
三田線はこの駅が終点ですがこの先500mで東京都板橋区から埼玉県和光市になります。
道路左の林の内側に西高島平の街が広がっており、右の駅からはこの歩道橋か、交差点にある歩道橋を渡る必要があります。
街は宅地分譲の一軒家の閑静な住宅地です。駅北口はトラックターミナルと倉庫群が広がっており駅前には何もありません。
交差点から左へ防音壁で覆われた新大宮バイパス沿いに700m行くと赤塚城址公園です(下の写真)。
たまたま恒例の赤塚公園梅祭りの日で出店が並び、森の中の赤塚城址の高台では古式武術が披露されていました。公園内には魚釣りができる池や郷土資料館もあります。
赤塚城址は中世に100年以上続いた武蔵千葉氏の居城ですが、戦国時代に北条方となり秀吉軍と戦って破れ廃城となりました。
I27d

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都営三田線新高島平駅

I26c 上の写真は駅南口からの歩道橋からの高島平通りで、左は高架の新高島平駅、右は高島平駅から続く高層アパート群です。
道路沿いは初春でまだ枯枝のけやき並木ですが、アパート群の前には黒々とした街路樹が茂っています。40年の歳月で高層アパートを覆い隠すほどの樹木に成長しました。
反対側の北口駅前は小さな商店街になっています。そこから400m北の新河岸川まで歩きました。
下の写真は新河岸川の橋の上からで、左岸(北岸)には大きな水再生センターがあり、その向こうには荒川河川敷が広がります。正面遠くの高い煙突は板橋清掃工場です。
右岸(南岸)の高島平地区はかっては徳丸たんぼ、赤塚たんぼと呼ばれた一面の水田地帯で、この川の水を農業用水に利用していました。
しかし川の水質汚染で米造りが難しくなり、国が全農地を買い上げて今の住宅地になりました。開発当初はまだ未舗装の土の道が雨でぬかるんで大変だったそうです。
I26d

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都営三田線高島平駅

I25a 高島平は昭和40年代に造られたマンモス団地ですが、住宅難の当時は何十倍もの抽選に当たって入居できるあこがれのマイホームでした。
高島平駅東口を南側に出ると広い通りを挟んで高層の公団アパートが屏風のように突っ立っています。アパートの壁には入居者募集の赤幕が掛かっていました(上の写真)。
横断歩道の先には広い緑地帯があり、この奥にも横にも何棟ものアパートが並んでいます。駅前に当たる正面のアパートは1階が商業スペースでスーパーや店舗が入居しています。
下の写真は同じ駅東口の北側です。こちらは小型マンション1階が店舗の駅前商店街で周辺には中型マンションが点在しています。駅前商店街にはパチンコ屋、コンビニ、飲食店など雑多な店があり、団地内の店舗より賑わっているようです。
I25b

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都営三田線西台駅

I24f 西台駅に降り立って驚かされるのは、高架駅の横に聳える都営西台団地のアパート群です(上の写真)。高架線の向うは大きな三田線の電車の車庫ですが、車庫の上を覆う人工地面を造り、そこに建設されたのが写真の団地です。
人工地面へは車が通れる坂道があり、上には広い駐車場もあります。周辺は他にも高層アパートやマンションが建ち並ぶ街並みです。
下の写真は駅前からの逆方向で、左はダイエーの大型店です。その角は広い高島平通りの交差点で、その近くは車で利用するチエーン店の商業地区です。
駅前から横断歩道を渡った高架の横に8階建てのスポーツクラブがあり、その4階が総ガラス張りで高架の電車の窓から会員の運動する姿がよく見えます。
坂道を上って団地内へ行って見ました。杖をついてとぼとぼと坂道を下ってくる老人に出会いました。団地内では生鮮食料品を積んだ移動販売のミニバンが営業中でした。団地の居住者の高齢化が進んでいるようです。
I24e

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都営三田線蓮根駅

I23b 蓮の根は野菜のれんこんですが「はすね」と読みます。ここは昭和30年代まで広いキャベツ畑だったようです。
上の写真は高架下の蓮根駅で、駅前通りに面しています。駅前広場はありませんが、高架下に駐輪場があります。また、高架のホームをオーバハングさせて歩道を広げています。
通りの右側には銀行、ジョナサン、書店などの店舗が並びます。
100m先が広い高島通りとの交差点です。
下の写真はそこからの三田線の鉄橋で、鉄橋の左が駅ホームです。三田線はこの右で急カーブして高島通りと並行になり終点まで進みます。
通りの左の高層は公団アパートです。裏通りに入ると低層のアパートと住宅街で、その中に蓮根中央商店街と植村直巳冒険館があります。
I23c

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都営三田線志村三丁目駅

I22e 上の写真の通りの先のガードが志村三丁目の高架駅で、ガードの先の高架沿いの道を右に入ると改札口になります。
その前には大きなパチンコ屋があります。左に入った高架下には小料理店が数軒並びます。
写真の右が郵便局、左がサミット、コジマ、トイザラス、銀行などが入るショッピングセンターです。
ガードの先は上り坂で武蔵野台地の崖線になっています。下の写真はその高台からで、木々の隙間から志村三丁目の街並みが眺められます。直下の白い建物は駅の傍の都営アパートです。
ここは城山公園で写真左手の森の中には熊野神社と城山幼稚園があり、その隣が志村小です。丁度、下校時間だったので学童達が戯れながら坂道を下りて行きました。
I22d

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都営三田線志村坂上駅

I21e 上の写真は左右にA3、A4番口のある交差点の北向きで、中山道はここから先は荒川低地への下り坂です。
ここから背後の地下2階にホームが伸びており、三田線はこの先で左にカーブして中山道から別れ地下鉄から高架線になります。
交差点の左は商店街通り、右へ進むと板橋区支所や板橋中央病院、中山道沿いは1階が店舗の高層マンションが建ち、周辺は賑やかな街並みです。
その中で200m背後にある古風な商家が目を引きます(下の写真)。その左の一本の樹木は志村一里塚で、商家とあわせ旧中山道を偲ぶ文化資産に指定されています。
商家は昔のよろず屋で店内から店先まで竹細工の商品を沢山並べており、今も商いしているようです。右のバイク屋さんも昭和のイメージです。一里塚の左にA1番口があります。
一里塚は道路のこちら側にも向き合う形でもう一つあります。その横がA2番口で、通りの裏側には凸版印刷の大きな工場があります。
I21c

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都営三田線本蓮沼駅

I20c 上の写真はA3番口からの中山道の北向きで、ここは右からの駅前通りがぶつかるT字路で右側の2つの角にA1、A2番口があります。
それぞれの出入口の前は少し歩道が広げられており、A3番口前は写真のように幟を立てたパチンコ屋もあり、出入口前に店舗が集中しています。
右の駅前通りはバス通りで小さなスーパーがあり、400m先には西が丘サッカー場があります。
中山道沿いの表通りは高層マンションが増えてきていますが、裏側は閑静な住宅地です。
右の歩道を250m進むと徳川将軍吉宗の鷹狩の御善処だった南蔵院があります(下の写真)。
かってはこの先の低地の志村坂下にありましたが度重なる荒川の氾濫で寺宝の一切を失い、今の高台に移ってきたそうです。
ここはしだれ桜が有名で板橋区の桜の名所にも指定されています。
I20d

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都営三田線板橋本町駅

I19c 仲宿から北に旧中山道を歩きました。道の両側は小型のビルやマンションの1階が店舗の賑やかな仲宿商店街です。途中スーパー、ファミレス、ドラッグストアなどもあります。
600m先で石神井川に架かる板橋を渡ります(上の写真)。この橋が板橋の地名の由来で今はコンクリート製ですが、欄干は昔風の木製に見せかけた造りになっています。ここから下流の石神井川の両岸には散歩に適した遊歩道があり王子まで続きます。
橋を渡ると板橋本町商店街ですがぐんと寂しくなります。500m先で環七通りの交差点ですが手前で西側を併行する幹線道路の中山道に出ました。
下の写真は板橋本町駅のある中山道の交差点で四隅にA1~A4番口があります。左右に横切る環七通りは陸橋の立体交差で、その上を首都高が交差しています。
交差点の前後には板橋本町インターもあり、ここは道路交通の要の場所になっています。
I19d

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都営三田線板橋区役所前駅

I18a 上の写真の右はA1番口のエレベータ口で、左は首都高板橋Jctの高架のある中山道です。ここから後方の道路下にホームが伸びています。横断歩道を左に渡るとA2番口と板橋区役所内のA3番口があります。
板橋Jctは中央環状線と池袋線の分岐で大きな三角形になっており、その中に高層ビルの区役所があります。
下の写真はA1番口から右100mの旧中山道仲宿の王子新道との四辻です。ここが昔の板橋宿の中心で、今は賑やかな商店街通りになっています。
明治になって全国に鉄道が普及し板橋の宿場町の人々には仕事がなくなりました。それに対し東方2kmの王子には沢山の工場が造られ労働者が必要になっていました。
王子新道はその徒歩通勤の道として苦労して住民の手で造られました。ここを右に進めば沿道に明治21年の完成を記念する石碑も残っているようです。
I18b

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