メトロ日比谷線北千住駅

H21a この駅は東武線への乗入れ駅で日比谷線ホームは高架の3階です。2階がコンコース、1階が浅草への東武線ホームです。これに並んで西側に3階のつくばエクスプレス、1階のJR常磐線、さらに地下1階の千代田線ホームもあり、北千住駅は巨大なターミナル駅になっています。
上の写真は東武側の北千住駅東口の学園通り商店街で、この通りは正面の東口から緩やかなスロープの地下道で西口に通じています。歩行者用と自転車用に分離され利用者の多い地下道になっています。
写真のすぐ右手に中高一貫教育の進学校の足立学園があるので学園通りの名前になっています。左手に進むとJT(日本たばこ)の広い工場跡地があり、それを活用した東口再開発が検討されています。
下の写真は地下道を抜けたJR側の西口で、正面の駅ビルと左手の丸井の前が歩道デッキの駅前広場になっています。写真のアーケードの歩道の駅前通りは400m西で日光街道の交差点になります。
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メトロ日比谷線南千住駅

H20a_2 上の写真は高架の南千住駅ホーム北端からの北東方向で線路の右に隅田川貨物駅が見えます。線路左側の地下1階につくばエクスプレス駅が、さらに左に常磐線の高架駅が併行に並んでいます。
隅田川貨物駅は昭和の半ばまで常磐線で常磐炭鉱の石炭をここまで運んで首都圏に供給する基地で、周辺は東京ガスや石炭関連の工場の街でした。
エネルギーが石油に変わり工場跡地が再開発され、写真正面の汐入の高層マンション街が生まれました。汐入は湾曲する隅田川に囲まれた島のような土地でしたが、水神大橋と千住汐入大橋の2本の橋が隅田川に架けられ、河畔もきれいな公園になっています。貨物駅はコンテナ基地に変わりました。
下の写真はホーム南端からの南東方向で、手前の歩道橋は貨物線を跨いでいます。ここは当時は山谷と呼ばれた日雇い労務者のたむろする街で、彼らが生活するベッド1つの簡易宿所が沢山ありました。
彼らがいなくなって簡易宿所がビジネスホテルに生まれ変わったのが今のこの街です。
写真のビルの多くは低料金で安心できるビジネスホテルです。インターネットで予約して何日も宿泊する外国人が多く、最近は地方の日本人の若者も利用するようです。
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メトロ日比谷線三ノ輪駅

H19d 上の写真は左に2番口のある歩道橋からの北向きで、右に歩道橋を渡れば1a番口があります。ここから正面の交差点までの地下2階がホームです。大通りはこの交差点で少し左に曲がり、100m先で常磐線のガードをくぐります。日比谷線は逆に少し右にカーブして街中に入り、そこから急勾配で高架鉄道になり、高架の常磐線と並んで次の南千住駅に向かいます。
ガードの100m先の横丁を左に入ると下の写真の三ノ輪橋商店街があります。右側には揚物屋と肉屋、左側には魚屋と八百屋と、昔の店屋の名前が使える賑やかな商店街です。
この商店街の裏側にはマスコミでよく取り上げられる都電荒川線が走っており、その始発駅の三ノ輪橋駅がこの商店街の入口になっています。
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メトロ日比谷線入谷駅

H18a 上の写真は入谷交差点南の歩道橋からの北向きで、交差点の先から向うへの地下1階にホームが伸びています。写真の横断歩道の左右に1、2番口が、次の交差点の左に3番口があり、それぞれ行き先別のホームになります。
この背後100mで江戸橋からの高架の首都高上野線が一般道に合流します。写真のように大通りの両側には大型マンションが増えてきていますが、横丁に入ると下町の低層長屋もまだ多く残っています。
交差点の左向き(西)が下の写真で左端は朝顔市で有名な入谷鬼子母神です。初夏には沢山の植木屋さんが朝顔の鉢を境内と歩道に並べて賑わいますが晩秋の今はひっそりしています。
その向う隣は児童数の減少で廃校になっている旧坂本小学校で今もそのまま保存されています。入口は裏側ですが一部は入谷幼稚園になっています。マンションが増えればまた開校するのかも知れません。
この通りの300m先の左手はラブホテル街でその中に鶯谷駅北口があります。
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メトロ日比谷線上野駅

H17a 上の写真はJR上野駅を跨ぐパンダ橋からの南向きの上野駅前広場です。広場の上には大きな歩道デッキが拡がります。
中央から左にかけて白い首都高上野線が見えますが、この地下2階に日比谷線ホームが、写真の左下から右にかけての地下2階に銀座線ホームがあります。
右手にJR上野駅があり、首都高が伸びる中央のビルの隙間は秋葉原方向への昭和通りで、左端の黒いビルは東京メトロ本社です。上野界隈はまだ中規模の10階建てのビル街です。
下の写真は同じ場所からの西向きで、右がパンダ橋、左下が上野駅、その向うの緑の山は上野公園です。JR上野駅公園口から上野公園に入ると気付きませんが、この写真から上野公園は小高い山であることが実感できます。
明治維新の戊辰戦争で焼け野原となった徳川家菩提寺の寛永時跡地に、明治政府は医学校と病院建設を考えてオランダ軍医のボードワン博士を日本に招きましたが、彼からこの高台は公園にするほうがいいと奨められ上野公園ができました。
その代替地は加賀藩前田家の屋敷跡が選ばれ、今の不忍池の西の東大病院ができました。写真左の高層ビルは不忍池畔のマンションですが、その向うに東大病院があります。
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メトロ日比谷線仲御徒町駅

H16a 上の写真はホーム北端の階段の4番口にある交差点の北向きで、ここから後方に地下1階にホームがあります。左は1階が書店のNTT、横断歩道の先はメガネドラッグと三菱UFJです。
この交差点の100m左(西)に高架のJR御徒町駅、さらに100m左の中央通の地下1階に銀座線上野広小路駅ホーム、それに交差する地下2階に大江戸線上野御徒町駅ホームがあり、ここから長い地下道でつながっています。何故かこれら4つの駅名がすべて異なります。
この街はJR御徒町駅北口を中心に4つの区画に分けられます。北東が一番賑やかな食料品店が多いアメ横、2番目が南西の松坂屋と吉池、3番目が北東の衣料品店の多い御徒町商店街、最後がこの南東のブロックになります。
下の写真はこのブロックの路地の1つの西向きで突当りにJR線のガードがあります。ブロックのすべての路地に宝石店が並びます。ここは日本一宝石店の多い「ジュエリーおかちまち」商店街です。市価よりも安く買取修理もできるので、宝石に関心のある人が訪れる街です。
突当りのガードの先には魚屋さんからデパートになった吉池があります。
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メトロ日比谷線秋葉原駅

H15c 上の写真は首都高上野線の高架のある秋葉原交差点の北西方向です。ここから後方に神田川の北岸までの地下2階にホームがあります。
上空でさらに総武線が立体交差しており、その向うには秋葉原の再開発でできた高層のヨドバシカメラが見えます。総武線の鉄橋の下の横断歩道を左に渡ると新装のJR秋葉原駅です。
秋葉原は電気店のある繁華街として有名ですがその賑わいはこの通りまでで、ここから右手(東)は中小のオフィスビルとマンションの閑静な街並みです。
下の写真はホーム南端の階段の5番口の脇にある神田川の和泉橋からの西向きです。前方の橋はJR線でその右側から山手・京浜東北線の高架ホームが伸びています。
右岸のビルはワシントンホテルや都の施設ですが、明治の地図ではこの右に水路と入江が描かれています。
山手線の上野~神田間の高架が完成したのは大正末ですが、それまでは上野~秋葉原間に地上の貨物線がありました。まだ上野からの北への鉄道が日本鉄道といわれていた時代で、秋葉原で鉄道から水路の船に荷物を積み替えでいました。
新しくできた秋葉原駅前広場やヨドバシカメラはその船着場の入江があった場所です。
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メトロ日比谷線小伝馬町駅

H14a 上の写真は3番口から出て100m先の歩道橋からの東向きの小伝馬町交差点です。その左右の地下1階にホームがあります。道路沿いは中型のオフィスビルが建ち並ぶ街並です。写真左のビル群の一画全体が江戸時代の伝馬町牢屋敷で、多くの罪人が刑死した場所です。
ビル群の裏手のその一画が下の写真の十思公園です。お昼時なので大勢の人が休憩しています。公園の向うの土壁は大安楽寺で、境内に延命地蔵が祀られています。また公園の右手には廃校になった十思小学校を利用した高齢者施設の十思スクエアがあります。
大安楽寺は牢屋敷の処刑場跡で吉田松陰もここで処刑されました。明治になって牢屋敷が市ヶ谷刑務所に移転した後、安田財閥の創始者の安田善次郎が処刑者の霊を慰めるためにこのお寺を寄進しました。彼は日比谷公会堂や東大安田講堂なども寄贈しています。
十思小学校は児童数の減少で日本橋小学校に統合されましたが、十思スクエアは十思小学校の校舎と運動場をそのまま利用しています。
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メトロ日比谷線人形町駅

H13a 茅場町よりの階段のA2番口を出ると甘酒横丁交差点で、上の写真はそこからの人形町通りの歩道の北向きです。ここから向うの人形町交差点までの地下1階に日比谷線ホームが、人形町交差点の左右の地下2階に浅草線ホームがあります。
写真の歩道のすぐ先には人形町商店街のシンボルの時計台が見えます。人形町通りは広い道で左右両端は駐車可能で中央3車線は北向き一方通行になっています。歩道沿いは活気のある商店街で毎月いろんなイベントを行っているそうです。
写真右の道標に左方向は蛎殻町一丁目、東京穀物商品取引所と印されています。案内通りに150m進んだのが下の写真で左の建物がそれです。
明治の中頃まで米の先物取引が盛んでしたが、大阪の堂島と並んでこの蛎殻町がその中心で多くの相場師の栄光と没落の舞台でした。しかし明治の終わりから株式相場が始まり、逆に米取引は規制されるようになって相場師は蛎殻町から隣町の兜町に移っていきました。
今の東京穀物商品取引所はとうもろこしや大豆などを扱っていますが、休みの日には商店街のイベント会場にもなるそうです。
なお、写真の通りの左が蛎殻町、右が人形町で、右に入るとすぐ歴史と風格のある日本橋小学校の校舎もあります。
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メトロ日比谷線茅場町駅

H12a 上の写真は茅場町交差点の北向きで、そこからこちらの地下1階に日比谷線ホーム、左側の地下2階に東西線ホームが延びています。正面の出入口は5番口で、右端は経済金融関係の出版社が多い渋沢シティプレイスで、周辺は証券会社が多い街です。
通りの先の高架は日本橋川上部の首都高でその下に茅場橋があり、遠くの白い高層ビルは水天宮の傍の新築マンションです。
下の写真は茅場橋からの日本橋川の上流方向で、遠くの橋は東京証券取引所前の兜橋です。
上部の首都高はこの先で楓川の埋立と古川を通る都心環状線と目黒線、日本橋川と神田川を通る都心環状線と池袋線、この背後で隅田川を渡って富岡川の埋立を通る深川線、堅川を通る小松川線、隅田川沿いの向島線とその先の綾瀬川沿いの三郷線となっており、首都高の多くは江戸時代の運河と河川を利用して造られています。
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