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2008年3月

メトロ有楽町線平和台駅

Y4b 上の写真は南口からの正久保通りの南向きです。ここから後方の地下3階にホームが延びています。
通りの右側には1階が店舗の大型マンションが建ち並びますが、通りの左側には更地が広がり駅出入口もありません。更地は金網で囲われ道路予定地の看板が立てられていました。
通りの先の左側に見える赤い建物の1階は雑貨屋さんですが閉店大売出し中でした。
下の写真は150m北の北口にある交差点の角からで、広い通りは環八通りです。対角の角はライフでその裏側には中層の都営アパートが広がっています。
環八通りは昨年半世紀をかけて全通しましたが、未開通区間はこの区間の両側でした。杉並区の井荻トンネルから板橋区相生までの新たに開通した環八通りを走ったことがありますが、長い地下トンネルと陸橋が続く高速道のような道で、信号が残っているのはこの交差点付近だけでした。
有楽町線はこの交差点の地下深くを横切っているので、正久保通りの拡幅工事に併せてこの区間の環八通りの地下トンネル化も予定されているのかもしれません。
Y4a

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メトロ有楽町線氷川台駅

Y5b 上の写真は1番口前からの正久保通りの南向きで、ここから向こうへの地下2階がコンコース、地下3階がホームです。
写真のマンションの向こう隣には2番口があり、1番口、2番口とも出入口は大きな駐輪場に囲まれています。
正久保通りは150m先の2番口の前で右折してすぐ石神井川の正久保橋で、橋を渡るとサミットとコープが向かい合っています。
下の写真は2番口の先の石神井川畔からで、有楽町線は対岸の練馬区羽沢の住宅街の地下を通って隣の小竹向原駅につながっています。
正久保通りで東西に、石神井川で南北に4区分された練馬区の、北東が氷川台、北西が早宮、南西が桜台、南東が羽沢の境界点上に氷川台駅があります。
Y5a

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メトロ有楽町線小竹向原駅

Y6a 上の写真はホーム後寄りの4番口を出た交差点からの西向きです。ここから向こうへの地下2階にホームが伸びています。この交差点から先は豊島区小竹、この手前が板橋区向原です。
前方にトンネルが見えますが、トンネルの上は小竹小グランドで、後方にも短いトンネルがありその上は向原小グランドです。
写真のトンネル左の階段を上がると小竹小グランド沿いの緑道で、そこを200m先に進むと閑静な住宅街の中に、ホーム前方寄りの2番口があります(下の写真)。
2番口の右手は小さな公園と駐輪場になっており、この地下1階が道路トンネル、地下2階が改札口、地下3階がホームです。
小竹向原駅のホームは2面4線で、下りの3、4番線ホームで西武線乗入と東武線乗入が別れ、上りの1、2番線ホームで有楽町線と副都心線が別れます。
Y6b

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メトロ有楽町線千川駅(せんかわ)

Y7a  上の写真は1番口近くからの東向きで、右側の広い歩道に1番口、左のライフの前に2番口があります。ホームはそこから向こうに伸びており、逆出口の3番口には広い歩道を利用した正規の駐輪場もあります。
交差点の右方向は千川商栄会の通りですが、その裏通りは桜の緑道でその一部が小さな千川公園になっています(下の写真)。
千川は武蔵野市境堤(旧仙川村)から玉川上水を分流して浅草まで送る江戸時代の用水です。
仙川村の太兵衛・徳兵衛がこの用水を造った功績で千川の姓を賜り、千川上水の管理を任されこの地に移り住みました。
武蔵野市境堤から練馬区関町までの上流は今も小さな流れが残っていますが、中流部分は今は都道の千川通りとなった地下の暗渠がこの千川公園につながっています。
なお旧仙川村の武蔵野市には他に天然の仙川が流れていますが、この流域には京王線仙川駅(せんがわ)があります。
Y7b

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メトロ有楽町線要町駅

Y8b 上の写真は6番口からの交差点の西向きで、左の歩道にある出入口が6番口です。通りは池袋駅東口からの広い要町通りですが、ここはもう池袋の繁華街の雑踏はありません。
ホームはここから交差点の向こうへの地下2階に伸びています。
交差点の右(北)300mに昨年完成した首都高環状新宿線の地下への入口があり、それがこの交差点の地下1階を左右に通っています。
6番口の左に赤レンガ舗装の緑道があり、そこを南に300m進むと赤レンガの校舎の立教小、立教中・高、立教大を貫通する立教通りにでます。
下の写真はその中程にある立教中・高のキャンパスをつなぐ歩道橋からの東向きで、この向う隣が立教大で池袋駅が最寄駅になります。
この後方には立教小があって要町駅からの緑道を通っての通学コースが便利です。
Y8a

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都営三田線西高島平駅

I27c 上は駅南口前の歩道橋からの新大宮バイパスの交差点の写真で、前後の高島平通りの陸橋の上をさらに首都高池袋線が左右に交差しています。
三田線はこの駅が終点ですがこの先500mで東京都板橋区から埼玉県和光市になります。
道路左の林の内側に西高島平の街が広がっており、右の駅からはこの歩道橋か、交差点にある歩道橋を渡る必要があります。
街は宅地分譲の一軒家の閑静な住宅地です。駅北口はトラックターミナルと倉庫群が広がっており駅前には何もありません。
交差点から左へ防音壁で覆われた新大宮バイパス沿いに700m行くと赤塚城址公園です(下の写真)。
たまたま恒例の赤塚公園梅祭りの日で出店が並び、森の中の赤塚城址の高台では古式武術が披露されていました。公園内には魚釣りができる池や郷土資料館もあります。
赤塚城址は中世に100年以上続いた武蔵千葉氏の居城ですが、戦国時代に北条方となり秀吉軍と戦って破れ廃城となりました。
I27d

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都営三田線新高島平駅

I26c 上の写真は駅南口からの歩道橋からの高島平通りで、左は高架の新高島平駅、右は高島平駅から続く高層アパート群です。
道路沿いは初春でまだ枯枝のけやき並木ですが、アパート群の前には黒々とした街路樹が茂っています。40年の歳月で高層アパートを覆い隠すほどの樹木に成長しました。
反対側の北口駅前は小さな商店街になっています。そこから400m北の新河岸川まで歩きました。
下の写真は新河岸川の橋の上からで、左岸(北岸)には大きな水再生センターがあり、その向こうには荒川河川敷が広がります。正面遠くの高い煙突は板橋清掃工場です。
右岸(南岸)の高島平地区はかっては徳丸たんぼ、赤塚たんぼと呼ばれた一面の水田地帯で、この川の水を農業用水に利用していました。
しかし川の水質汚染で米造りが難しくなり、国が全農地を買い上げて今の住宅地になりました。開発当初はまだ未舗装の土の道が雨でぬかるんで大変だったそうです。
I26d

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都営三田線高島平駅

I25a 高島平は昭和40年代に造られたマンモス団地ですが、住宅難の当時は何十倍もの抽選に当たって入居できるあこがれのマイホームでした。
高島平駅東口を南側に出ると広い通りを挟んで高層の公団アパートが屏風のように突っ立っています。アパートの壁には入居者募集の赤幕が掛かっていました(上の写真)。
横断歩道の先には広い緑地帯があり、この奥にも横にも何棟ものアパートが並んでいます。駅前に当たる正面のアパートは1階が商業スペースでスーパーや店舗が入居しています。
下の写真は同じ駅東口の北側です。こちらは小型マンション1階が店舗の駅前商店街で周辺には中型マンションが点在しています。駅前商店街にはパチンコ屋、コンビニ、飲食店など雑多な店があり、団地内の店舗より賑わっているようです。
I25b

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都営三田線西台駅

I24f 西台駅に降り立って驚かされるのは、高架駅の横に聳える都営西台団地のアパート群です(上の写真)。高架線の向うは大きな三田線の電車の車庫ですが、車庫の上を覆う人工地面を造り、そこに建設されたのが写真の団地です。
人工地面へは車が通れる坂道があり、上には広い駐車場もあります。周辺は他にも高層アパートやマンションが建ち並ぶ街並みです。
下の写真は駅前からの逆方向で、左はダイエーの大型店です。その角は広い高島平通りの交差点で、その近くは車で利用するチエーン店の商業地区です。
駅前から横断歩道を渡った高架の横に8階建てのスポーツクラブがあり、その4階が総ガラス張りで高架の電車の窓から会員の運動する姿がよく見えます。
坂道を上って団地内へ行って見ました。杖をついてとぼとぼと坂道を下ってくる老人に出会いました。団地内では生鮮食料品を積んだ移動販売のミニバンが営業中でした。団地の居住者の高齢化が進んでいるようです。
I24e

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都営三田線蓮根駅

I23b 蓮の根は野菜のれんこんですが「はすね」と読みます。ここは昭和30年代まで広いキャベツ畑だったようです。
上の写真は高架下の蓮根駅で、駅前通りに面しています。駅前広場はありませんが、高架下に駐輪場があります。また、高架のホームをオーバハングさせて歩道を広げています。
通りの右側には銀行、ジョナサン、書店などの店舗が並びます。
100m先が広い高島通りとの交差点です。
下の写真はそこからの三田線の鉄橋で、鉄橋の左が駅ホームです。三田線はこの右で急カーブして高島通りと並行になり終点まで進みます。
通りの左の高層は公団アパートです。裏通りに入ると低層のアパートと住宅街で、その中に蓮根中央商店街と植村直巳冒険館があります。
I23c

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都営三田線志村三丁目駅

I22e 上の写真の通りの先のガードが志村三丁目の高架駅で、ガードの先の高架沿いの道を右に入ると改札口になります。
その前には大きなパチンコ屋があります。左に入った高架下には小料理店が数軒並びます。
写真の右が郵便局、左がサミット、コジマ、トイザラス、銀行などが入るショッピングセンターです。
ガードの先は上り坂で武蔵野台地の崖線になっています。下の写真はその高台からで、木々の隙間から志村三丁目の街並みが眺められます。直下の白い建物は駅の傍の都営アパートです。
ここは城山公園で写真左手の森の中には熊野神社と城山幼稚園があり、その隣が志村小です。丁度、下校時間だったので学童達が戯れながら坂道を下りて行きました。
I22d

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都営三田線志村坂上駅

I21e 上の写真は左右にA3、A4番口のある交差点の北向きで、中山道はここから先は荒川低地への下り坂です。
ここから背後の地下2階にホームが伸びており、三田線はこの先で左にカーブして中山道から別れ地下鉄から高架線になります。
交差点の左は商店街通り、右へ進むと板橋区支所や板橋中央病院、中山道沿いは1階が店舗の高層マンションが建ち、周辺は賑やかな街並みです。
その中で200m背後にある古風な商家が目を引きます(下の写真)。その左の一本の樹木は志村一里塚で、商家とあわせ旧中山道を偲ぶ文化資産に指定されています。
商家は昔のよろず屋で店内から店先まで竹細工の商品を沢山並べており、今も商いしているようです。右のバイク屋さんも昭和のイメージです。一里塚の左にA1番口があります。
一里塚は道路のこちら側にも向き合う形でもう一つあります。その横がA2番口で、通りの裏側には凸版印刷の大きな工場があります。
I21c

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都営三田線本蓮沼駅

I20c 上の写真はA3番口からの中山道の北向きで、ここは右からの駅前通りがぶつかるT字路で右側の2つの角にA1、A2番口があります。
それぞれの出入口の前は少し歩道が広げられており、A3番口前は写真のように幟を立てたパチンコ屋もあり、出入口前に店舗が集中しています。
右の駅前通りはバス通りで小さなスーパーがあり、400m先には西が丘サッカー場があります。
中山道沿いの表通りは高層マンションが増えてきていますが、裏側は閑静な住宅地です。
右の歩道を250m進むと徳川将軍吉宗の鷹狩の御善処だった南蔵院があります(下の写真)。
かってはこの先の低地の志村坂下にありましたが度重なる荒川の氾濫で寺宝の一切を失い、今の高台に移ってきたそうです。
ここはしだれ桜が有名で板橋区の桜の名所にも指定されています。
I20d

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メトロ南北線赤羽岩淵駅

N19c 南北線はこの駅までですが、ここから先は直通運転している埼玉高速鉄道となり、浦和レッズの本拠地の埼玉スタジアムのある浦和美園駅が電車の終点です。
上の写真はA2番口にある右折車の多い交差点の西向きです。ここから背後の地下3階にホームが伸びています。
北本通りはここで右折し新荒川大橋を渡って埼玉県に入り岩槻街道と名を変えます。交差点の直進側はここが始点となる環八通りで、都区内を外回りしてその終点は羽田空港です。
A2番口から横丁に入ると赤羽銀座商店街です。500m南にJR赤羽駅東口の繁華街があり、それがここまで伸びてきています。通りの向うのA3番口側はお寺のある古い住宅地です。
下の写真は500m北の荒川で、右端は新荒川大橋、対岸は川口市です。手前は岩淵水門から続く新河岸川との中州で野球場やゴルフ場もある緑地公園になっています。
埼玉高速鉄道は写真中央付近の川底を渡ってから岩槻街道の地下に移動し、隣駅の川口元郷駅になります。
N19b

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メトロ南北線志茂駅

N18a 上の写真は2番口からの北本通りの北向きです。通り沿いの両側には中小のマンションが見受けられますが、横丁に入ると路地の込み入った昭和の下町の住宅地です。
通りの左の1番口からの横丁にはかわいい名前の「なでしこ小」があります。第2岩淵小と志茂小の統合で平成14年に発足した学校だそうです。
800m北の荒川の岩淵水門まで足を運びました(下の写真)。土手の先が岩淵水門で、左が荒川、右が新河岸川、水門から下流が隅田川です。大水のときは水門を閉じて隅田川の水量を調節しています。
かっての隅田川は氾濫が多かったので、大正期にここから東京湾まで幅500m、長さ22kmの放水路を掘削しました。それが今の荒川です。その結果隅田川流域の水害がなくなり、それまでの農地が宅地や工場になっていきました。
江戸時代の市中は浅草、吉原までで、その北側の山谷堀沿いに日本堤を設けて隅田川の流れを堰き止め、上流は遊水地となっていました。当時の上流側の農家は水没対策として積み上げた土塁の上に屋敷を建て、小舟も用意していたそうです。
N18c

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メトロ南北線王子神谷駅

N17c 上の写真は1番口からの北向きの北本通で両側に高層のマンションとアパートが並びます。南隣の王子駅は北区王子1、ここは北区王子5でこのすぐ先が北区神谷1なので、駅名は2つ合わせた王子神谷です。
右側の通り沿いの民間マンションの奥には隅田川沿いの大型マンションもあります。左側は公団王子五団地で2200戸もある大型賃貸アパートです。
下はその団地内の写真で、左のアパート1階(写真左下)はさくらだ幼稚園、右側は桜田小と桜田中です。団地の入口にはスーパーとレストランもあります。
この団地は十条製紙の工場跡地に昭和40年代に造られました。当時の工場は隅田川からの物資搬入用の運河もありましたが、それも埋立てられ大型マンションと公園に生まれ変わりました。
写真左のアパート裏側に工場時代からの鉄道の引込み線のある大きな倉庫群があります。そこから大きな紙のロールを積んだトラックが出てきます。
倉庫は新聞の用紙を各新聞社に、毎日配達する基地になっているようです。なお、隅田川沿いには日本製紙(旧王子製紙)の研究所も残っています。
N17b

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メトロ南北線王子駅

N16c 上の写真は明治通りの歩道橋からのJR京浜東北線王子駅前広場の北向きで、直下から右向うへの地下2階に南北線ホームがあります。歩道橋を渡れば都電荒川線ホームです。
左は京浜東北線と併行する高架の東北新幹線で、高架下が3番口のあるJR駅北口です。
写真正面のビルは5番口のある超高層の北区文化会館「北とぴあ」で、最上階は展望台とレストランになっています。
JR線の反対側(西)には深い渓谷の音無親水公園があります。下の写真は本郷通りの音無橋上からで、ここから欝蒼とした樹木の渓谷を見下せます。その先のビル街の中に前述の王子駅があります。
石神井川は北区付近では音無川と呼ばれ、 水が滝になって流れる古くからの景勝の地で、北斎の絵にも描かれています。しかし河川改修工事で飛鳥山の地下トンネルに流路が変更され、残された旧流路がこの音無親水公園になりました。
写真の右手には飛鳥山公園沿いの急坂、急カーブの明治通りがあり、そこを都電が車輪をきしませながら颯爽と走っています。
N16a

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メトロ南北線西ヶ原駅

N15c 上の写真は1番口近くからの本郷通りの北向きです。右はお札を印刷している国立印刷局滝野川工場の正門で、その向う隣は滝野川署です。通りの左側は低層家屋の住宅地です。近くには旧古河庭園もあります。
左の道路の先に緑の樹木が見えますが、これは東京で唯一そのまま残された一里塚で榎の大木が2本直列に植わっています。この通りは昔の日光御成り道で、ここは江戸日本橋から2里の場所になります。
一里塚のすぐ先が桜で有名な飛鳥山公園です(下の写真)。徳川将軍吉宗の指示でソメイヨシノが1270本植えられた公園です。吉宗は紀州家当主から将軍になりましたが、紀州の殿様時代に参勤交代で吉野山の麓の村(吉野町上市)を何度か通っています。
吉野山の桜はソメイヨシノですが、吉野山の苗木が飛鳥山に運ばれたのかも知れません。
N15d

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