逗子のJRと京急の踏切

Zusi1 逗子は田越川河口の小さな三角洲に中心街がある山と海に囲まれた街で、石原都知事のデビュー作「太陽の季節」の舞台です。
上の写真はJR逗子駅東の踏切で、2つの車線が踏切待ちの車で渋滞し直進の車も通れなくなります。踏切の先はバス乗り場のある大きなJR駅前広場です。
下の写真はそこから200m南の京急新逗子駅の踏切です。ホーム端が踏切に接していますが改札は踏切の上の長い歩道橋を渡ったこちら側の駅ビル内です。
どちらの踏切もその先の丘陵地帯を住宅地に開発して街が大きくなってきました。右の大きなビルは市役所ですがこれ以上の開発は環境破壊につながるとして、住宅追加建設反対の垂れ幕が下がっています。
日中で1時間当たりJRは5本、京急は6本の電車が走りますが、踏切遮断時間はJRの方がかなり長いようです。これは踏切制御基準が鉄道会社ごとにばらばらで国の基準がないからです。
渋谷の温泉爆発事故でガスチェックが規定されていない法律の不備が指摘されましたが、踏切にも同じことが言えるようです。
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京急線 八丁畷駅北の踏切

Hacyo1 鶴見市場駅の次は八丁畷駅で、この駅の北で旧東海道が線路の右から左に変わります。この辺りは昔、真直ぐに伸びた水田が八丁(800m)続いていたので八丁畷の地名になりました。上の写真はその踏切と八丁畷駅です。
京急駅の上には高架の南武支線のJR駅もあります。南武支線は京浜工業地帯の玄関口の浜川崎駅から、京急線、JR東海道線を立体交差して南武線の尻手駅までの4kmの短い線です。昼間は2両の電車が1時間に1本しかない都会のローカル線です。
下の写真は踏切から100m先の旧東海道沿いにある芭蕉の句碑です。芭蕉が晩年、江戸を出て郷里の伊賀への帰途に、門弟たちと最後の別れを惜しんで、川崎宿のはずれのここで詠んだといわれる句碑です。

麦の穂をたよりにつかむ別れかな

句碑の背後には京急電車越しに赤レンガ造りの木の生えた土手の廃線跡が見えます。これはJR川崎駅から南武支線への川崎短絡線跡です。
京浜工業地帯を造ったといわれる明治の実業家「浅野総一郎」は鶴見、川崎沖合いの大規模な埋立事業を行いましたが、埋立地への鉄道を国に願い出てこれは敷設されたようです。浅野の他の事業の1つに埋立地のセメント工場がありますが、当初はその原料の石灰石を奥多摩から中央線の新宿経由や、横浜線の八王子、東神奈川経由で川崎駅へ出て川崎短絡線で工場に運んでいました。
そこで浅野は鉄道事業にも乗り出し、奥多摩鉄道、青梅鉄道、南武鉄道、鶴見臨海鉄道などの会社を創り、奥多摩から直接南武線で工場に運べるようにしました。それで京急線と接続する南武支線ができたので、川崎短絡線が廃止されたようです。
浅野が創ったこれらの鉄道会社は軍事にとって重要だったので、戦時中にすべて国有化され今はJRになっています。
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京急線 鶴見市場駅北の踏切

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花月園駅の次は高架の京急鶴見駅で、そこから2つの大通りと鶴見川を渡って、次は橋上駅の鶴見市場駅になります。上の写真はその駅前通りの踏切で、手前は東口、踏切の先の西口からはいちば銀座商店街です。
駅の東100mに第一京浜が並行していますが、その一帯が今どんどん再開発で大型マンションが建ってきています。それで東口側の駅利用者が急増しています。工場従業員が下車した駅から、東京や横浜へ通うサラリーマンの乗車する駅に変わっているのです。
いちば商店街を100m進むと旧東海道にぶつかります。この通りは低層住宅が並ぶ昭和の町並みで、熊野神社や一里塚もあります。
旧東海道をしばらく南に行くとモダンなアーチ橋の鶴見川橋です。江戸時代からここには橋が架かっていて、東京湾の海に臨み、富士山や箱根山を見渡せる風光明媚な場所だったそうです。そして橋の袂に川から運ばれた土地の名産を並べた市場もあったので、鶴見川北岸は市場の地名になったようです。
下の写真はその川岸に咲いていたコスモス越しの赤い京急電車です。一時は汚染全国ワースト4にも数えられた鶴見川ですが、流域整備でいかだ下り大会も開かれるまでに回復してきています。
橋を渡ると鶴見の市街地で両側がマンションに挟まれた平成の旧東海道になります。
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京急線花月園駅北の踏切

Kazuki2 生麦駅の次は花月園(かげつえん)駅でここも京急線の横をJR線が通っています。上の写真は橋上駅の花月園駅の金網入りの窓ガラス越しの写真で、右がJR踏切、左が橋上駅からの歩道橋です。
花月園は横浜市の競輪場で正面の大きなアパートの裏側の丘の上にあります。競輪客は歩道橋を渡ってから右折して、アパートの右で左折して、競輪場前までスロープで行けます。またJR鶴見駅から無料バスで行く客も多いようです。
花月園は大正時代に新橋の料亭花月の経営者平岡広高が東福寺の境内を借りて造った東洋一の遊園地でした。宝塚のような歌劇団もあったそうです。
しかしその後、多摩川園など他にも方々に遊園地が造られ、また戦中戦後の混乱で経営が成り立たなくなり、横浜市の競輪場に衣替えしたそうです。
訪れた日はたまたま開催日だったので、100円玉をゲートに入れて場内に入ってみました。平日だったので入りはまあまあでしたが、観客はすべて年金生活者のような中高年の男ばかりでした。
場内で500円の串揚げ定食と400円の缶ビールの昼食をとりました。串揚げは、たまねぎ、あじ、いかげそ、の3本でしたが、100円のばら売り1本を買っている人もいました。競輪場は球場と違い持ち込み自由なので、魔法瓶に熱燗を入れて場内でつまみを買って、ちびちびやりながら観戦しているフアンもいます。
パチンコならすぐ1万円も負けますが、今の競輪はお金のない年金生活者が安上がりで一日をすごせる娯楽になりました。下の写真は第4レースのゴール直前です。
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京急線生麦駅南のJR踏切

Namamugi1 新子安駅の次は生麦駅で、ここでもJR線が京急線に隣接しています。上の写真は橋上駅の生麦駅からJR線を渡る歩道橋からの写真です。右から横須賀線と京浜東北線の踏切、東海道線の踏切、JR貨物線のガードが並び、写真では見えませんがガードの先に京急線の踏切があります。踏切の通りは商店街なので渡る自転車や人が多い踏切です。
駅を利用する人はそのまま駅につながる長い歩道橋を渡ります。
踏切の先の商店街を進むと第一京浜で、信号を渡ってさらに行くとキリンビールの工場沿いの細い道にぶつかります。この道は昔の旧東海道です。
ここを右に折れさらに進むと下の写真の高校の日本史で教わった「生麦事件」の碑があります。これは幕末にここを通っていた薩摩藩の大名行列の前を、イギリス人4人が乗馬したまま前を横切り、怒った薩摩武士が4人に切りかかり1人が死亡しました。これが元でイギリス軍艦と薩摩藩の鹿児島湾での薩英戦争にまで拡大した事件です。結果はイギリス軍の方が戦死者が多くでてイギリスが薩摩の戦力の強さを認め和解したそうです。
この碑のすぐ先にキリンビールが試飲できるガーデンがあります。夏の暑い日だったので喉が渇いてふらふらと中に入ったら、10分ほどの工場見学の後おつまみ付でビール2杯無料でサービスしてくれました。
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京急線新子安駅南の踏切

Sinkoyasu1 子安駅の次は新子安駅でここでもJR線と京急線は接近していますが、2つの線路間にJR新子安駅があります。上の写真は京急駅南の踏切からの地上駅のJR駅ですが、線路東側の駅利用者がこの踏切を通ります。
京急駅は橋上駅で線路西側からはエレベータ付の立派な歩道橋があり、JR駅とも共用になっています。写真の右手前が歩道橋で、左背後にJR駅があり、その上の陸橋はJR、京急、第一京浜を渡って埋立地への神奈川産業道路です。
この駅は横浜市有数の進学校で中・高一貫教育の浅野学園の最寄り駅です。学校へは線路東側を線路沿いに5分ほど行くと丘に登る道があり、ここが校門で丘全体が広大な学校敷地です。
この学校は明治の実業家「浅野総一郎」が設立した学校ですが、浅野は数々の事業を手がけ、日本を世界のトップクラスの工業国に育て上げる基盤を創った代表的な人物の一人です。
浅野学園の校訓の一つに「九転十起」があります。「七転八起」をもじったのでしょうが、彼自身若い頃に何度も破産や夜逃げを経験しています。
安倍新内閣は再チャレンジをキャッチフレーズにしていますが、混沌としていた明治時代は今と違い10回も再チャレンジできる時代だったようです。
下の写真は浅野の銅像で校内の銅像山の頂上に立っています。鶴見沖の埋立ては彼の晩年の仕事の1つですが、実際にここから埋立事業の様子を視察していたそうです。ここは横浜ベイブリッジも見渡せる展望のいい場所です。
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京急線子安駅北の踏切

Koyasu1 神奈川新町駅の次は子安駅で、ここではJR線と京急線がまた接近します。上の写真は子安駅北の踏切からの写真で、子安駅がJR線と京急線に挟まれた狭い場所にあります。写真の右の白いコンクリの塊はJR線をくぐる地下道の入口です。
ここにはJR駅はないので西側からは地下道で、東側からは左の踏切でこの駅を利用します。
踏切を渡ると20mで第一京浜で、信号を渡った路地を100m進むと浜通の細い道にぶつかります。通りの東側にはバラックの小屋がびっしり並びます。
ここは昔の子安浜の漁村で、小屋はその裏の入江川に停泊している漁船の漁の準備小屋です。
下は入江川の橋からの写真です。左の沖合いが埋め立てられ昔の海岸線が運河の入江川になり、今は川の上に高速道路もできました。
埋め立ては古い昔の明治の終わり頃に行われ、それに伴い漁業権を放棄して漁民が転業していったため、ここは漁港としての整備は行われませんでした。そのため返って今では田舎の漁港にいっても見られない不思議な風景の漁港になりました。
なおこの対岸の埋立地には工場や倉庫があります。
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京急神奈川新町駅南の踏切

Sinmati1 神奈川駅の次は高架の仲木戸駅で、その次は地上の神奈川新町駅です。ここは電車の車庫と第1京浜の国道の街です。
上の写真は駅南端の踏切の写真です。手前は大きな電車の車庫への踏切で、その先の電車が通過中のが本線の踏切です。その両側に西口と東口があり、駅から50mで幹線道路の第一京浜です。
下の写真はその歩道の写真で、ここにはドライバ向けのラーメン店や牛丼等の食べ物屋が立ち並びます。インターネットによるとここはラーメンの激戦区だそうです。丁度お昼時だったので、どこも行列ができていました。
並ぶのがいやなので少し進むと中華食堂がありました。Aランチ600円の店先のメニューに釣られて中に入ると、店内は広く各テーブルにグループのサラリーマンが沢山いました。
彼等は食事が終わると店前の第1京浜の横断歩道を渡って行きます。
私も食事後、同じ方向に行ってみました。すぐに上を高速道路が通る入江川の橋があり、その先の埋立地に真新しい高層のオフィスビルが2棟建っていました。そこには社員食堂もあるのでしょうが外に食事に行くサラリーマンも多いのでしょう。ここは古い埋立地が再開発されたようです。
600円のAランチはスープ、デザート、漬物付の茄子とジャガイモの炒め物で、ファミレスと違いその場で調理されるのでおいしかったです。店の名前は餃子菜店で浦島町の信号の西側です。
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京急線神奈川駅400m北の踏切

Kanagawa1 横浜駅の次は旧東海道の宿場町だった神奈川駅です。駅ホームはJR線と並行した切り通しで、線路をまたぐ国道1号の陸橋の青木橋の横に、小さな駅の改札口があります。
駅から線路沿いの緩やかな坂道を進むと上の写真の踏切があります。JR線を渡る歩道橋からの写真ですが、ここから少し京急線とJR線が離れるのでその地区へのアクセスの踏切です。
踏切をわたった先に浄滝寺があり、下の写真はその門前のイギリス領事館跡の石碑です。踏切の手前の道を左に行くとすぐ滝野川の橋で、その線路右側の成仏寺はオランダ領事館跡です。また駅横の青木橋西側の本覚寺はアメリカ、東側の甚行寺はフランスの領事館跡です。
幕末に欧米列強から開国を求められた幕府は、国論が二分し紛糾する中でやむおえず、函館、神奈川、長崎の開港の条約を結びました。そして神奈川に近い当時寒村であった横浜村を港町に整備しました。
しかし欧米諸国は街道筋で便利な神奈川の開港を強く要求し、これらの寺を領事館にしたそうです。その後日本に来た欧米の商人は整備された横浜に、だんだんと居住地を構えるようになり、各国領事も横浜を開港場として正式に追認せざるを得なくなりました。
これらの外交交渉は幕府目付岩瀬忠震が行いましたが、神奈川の開港を認めていたら今とは全く違う横浜になっていたのかもしれません。
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京急線横浜駅南の踏切

Yokohama1 横浜駅は昭和3年に埋立地に移設された駅で、JR東海道、横須賀、京浜東北、根岸線、京急線、東急線、相鉄線、地下鉄3号線が乗入れる巨大ターミナルです。
上の写真はその京急線の南の踏切で、その左に帷子川が流れています。踏切の手前右に中央郵便局の裏口があり、ここから郵便のバイクや荷物車が頻繁に出入りしています。踏切の先は根岸線のガードがあって、その先はJR線で行き止りです。踏切を渡るのは大型ダンプです。
横浜駅はいつも何か工事をやっていますが、踏切の先はその現場事務所で、今は地下の横浜駅みなみ通路の工事中で、その西口は相鉄駅、東口が写真の右側一帯です。
下の写真は同じ場所からの北向きの写真で、中央はみずほ銀行ビル、左の奥に高いビルに囲まれているのは4階建ての中央郵便局です。右の歩道橋の下は地下の横浜駅東口への出入口で、さらに右手には高架の高速道路とそごうの主力店があります。
東京駅をはじめ大都市の中央駅前には大抵中央郵便局のビルがあります。昔、鉄道で郵便物を運んでいた時代の名残です。
横浜中央郵便局もできた当初は駅前で最大のビルだったのでしょうが、駅周辺がどんどん開発され高層ビルが建って、今は一番背の低いビルになってしまいました。郵政民営化で駅前の中央郵便局のビルも変わっていくのでしょうか?
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東海道品川宿

sinagawa2 品川駅から旧東海道を歩いて品川宿へ行ってきました。品川駅の西口から駅前の大通り沿いに左に進みます。高架の京急線沿いに歩いて行きますが、最近この高架下にしゃれた飲食店街ができました。その先が八つ山の交差点です。そこから左手に2つ踏切が見えます。信号を渡って遠いほうの踏切にいきます。この通りが旧東海道です。踏切を渡ると近代的な今の品川とは異次元の世界です。昔からの商店街通りですか、さすが品川で全国で商店街の衰退しているにもかかわらず、それなりの活気があります。下駄屋、畳屋、魚屋の古い店、コンビニ、しゃれたブティック、お寺の入り口、小さな事務所やマンションが混在した通りです。京急線と併行しており駅では北品川、新馬場、青物横丁の各駅が通りの西方向にありますが、新馬場駅下の目黒川の橋の周辺が品川宿の中心部だったようです。

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川崎大師駅の踏切

kawasakitaisi 川崎大師駅前は大型トラックが行き交う大師通りに面しており、駅前の信号機を渡って川崎大師の表参道に入ります。川崎大師は初詣の人出が明治神宮に次ぐほど多い由緒ある大師さまです。この駅の東側には大師通りの大きな踏切があり、西側にも駅裏の道路へのバイパスの踏切があります。大師通りは東京湾アクアラインに通じる幹線道路で、その南側は川崎大師のある昔からの住宅地が広がっています。通りの北側と東の埋立地の浮き島地区に、最近空地がでてきて神奈川県が工場誘致を始めました。日本経済を支えてきた京浜工業地帯の中心でも産業の空洞化がおこっているようです。

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