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名鉄本線東岡崎駅東の踏切

Ka18b 東岡崎駅は岡崎市の玄関口ですが、JR東海道線の岡崎駅があり岡崎城の東1kmに位置することから東岡崎駅の名前になっています。
上はホーム東端からの東岡崎駅東の踏切の写真で、左側にある駅前通りから右の文教地区の住宅地に入る踏切です。
東岡崎駅は河岸段丘の高台側の縁にあり、低地側になるホーム西端からは線路は高架になります。
Ka18d 駅から高架沿いに150m進んだ幹線道路のガードです。この道路の2.5km先(南)がJR岡崎駅で駅周辺は岡崎市の副都心に相当します。
Ka18e ガードの後方(北)150mが乙川の橋でそこから下流の対岸の写真です。
左手の森は家康出生の地の岡崎城のある公園で、対岸一帯が岡崎市の中心街になっており、旧東海道は城下町だったここを二十七曲の屈折で通っていました。

大正時代に木曽川の電力開発に成功した福沢桃介が、その電力を利用するため名古屋~豊橋間の東海道電気鉄道の免許を得たのが名鉄本線の始まりです。
会社名からわかるように彼はこの鉄道を東京まで延長する野心を持ち、三菱、三井と並ぶ財閥だった安田善次郎から資金的なバックアップの確約を得ていました。
当時の国鉄東海道線は汽車(SL)で遅くて煤煙が汚く不評だったので、電車による高速で快適なサービスを目指したのです。
しかし安田が大磯の別邸で暗殺され夢を絶たれた福沢桃介は、自らが社長も兼ねていた愛知電気鉄道に東海道電気鉄道を合併して、常務の藍川清成に社長を譲りました。
財界の鬼才と呼ばれ気宇壮大だった彼には豊橋までの電車には興味を失ってしまったようです(野性の人々:城山三郎)。
後任の藍川清成はすでに完成していた神宮前~有松に東海道電気鉄道の路線を接続し、今の名古屋~豊橋の名鉄本線を完成させました。

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