名鉄太田川駅南北の南北の踏切
知多半島の付根にある太田川駅は半島西岸の中部国際空港への常滑線と半島東岸の河和線との分岐駅です。
上の写真は駅の南の踏切で手前から複線の常滑線と河和線の線路が並び、左が太田川駅です。
写真の看板にあるように駅の高架工事のためこの7/14で車が通行禁止になりました。
下の写真は駅の跨線橋からの北向きでホームの先に北の踏切が見えます。こちらの方が道幅も広く駅前は小さな商店街になっています。
左側が更地になっていますがこちらに線路を移動させてから、今の駅を3階建ての高架にして2階に常滑線と河和線の2面4線の上りホーム、3階に1面2線の下りホームができます。
ここは名古屋市の南に隣接する東海市ですが、太田川駅を市の玄関口にするため駅周辺の再開発も合わせて実施中です。
常滑線は明治末に後に名鉄初代社長になる藍川清成などの運動でできた愛知電気鉄道が始まりで、東京で甲武鉄道(JR中央線)と川越鉄道(西武新宿線)の立ち上げに成功していた岩田作兵衛に社長の就任を依頼しました。
彼は東京日本橋の呉服商から私鉄経営者になった人で、まだ前例のなかった私鉄事業を商人の感覚の創意と工夫で取り組みました。
甲武鉄道の建設では新宿の街道に立って往来する人を数えて需要予測をしたり、出願書に必要なルートの測量を一日だけ専門家に技術を学んで、あとは自分で測量する能力の持ち主でもありました。
用地を無償提供してくれた土地に駅を造ったり、協力者に駅前の商業権を与えました。
常滑線の建設でも用地取得が困難とわかるとすぐ、名古屋へのルートを変更して東海道線の東側から西側にしました。
また電燈のなかった知多半島に、電車の電気を一般家庭に配る事業で収入を増やし、愛知鉄道を成功させました。
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