伊勢市駅周辺の踏切

Ka8a 上の写真は伊勢市駅西の踏切の東向きで、右側に赤い舗装のあるJR線とその左の架線の鉄柱のある近鉄線の共用踏切です。
この後方(西)800mの区間はJR線と近鉄線が併行しておりその間に7つの共用踏切が並びます。
踏切の先はJR駅と近鉄駅ですがその間にJRの大きな車庫があり、2つの駅は100mの長い古い跨線橋でつながっています。
右の道路の先の伊勢市駅前は以前、三交デパートとジャスコが営業していて駅前商店街も賑わっていましたが、2つとも撤退し商店街も寂れてしまいました。
写真右端のビルは旧三交デパートで今は空きビルです。
下の写真はJR伊勢市駅東の八間道路の踏切の北向きで、この先にある近鉄線は伊勢市駅を出てから高架になって、八間道路とJR線を立体交差してすぐ宇治山田駅です。
ここから200m左(西)がJRの伊勢市駅、150m右(南)が近鉄の宇治山田駅、踏切の先(北)は江戸時代の中心街の河崎地区と新興住宅地を経て国道に通じています。ここは伊勢市の道路交通の要の車の多いT字路になっています。
しかし踏切があるので道路信号のない右折禁止の交差点になっています。宇治山田駅からは北には行けず、北からは伊勢市駅には行けません。
伊勢市北部への八間道路沿いはSCとスーパーの激戦区で、この5月には大型SCのミタス伊勢が東洋紡跡地にオープンしました。その傍には大型マンションも建設中です。
伊勢市街は北にどんどん広がっており、北の地区からはこの右折禁止が不便たため、三交デパートとジャスコが撤退したのかもしれません。
この踏切のJR線は鳥羽へのローカル線なので、電車もここだけ道路信号で横断するようにして車が右折できるようにすれば、伊勢市の南北の交通が便利になると思われます。
東急世田谷線は乗客の多い便利な電車ですが、若林駅では道路信号で東京の動脈の環七通りを横断しています。
Ka8b

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JR、近鉄松阪駅周辺の踏切

Ka7a 上の写真は松阪駅北にある2つ目の複線の近鉄線と単線のJR線の共用踏切です。
この踏切の道は松阪城址への大手門通りで、200m後方(西)の昔のお伊勢詣りの参宮街道との交差点を挟んで、北側は昔の松阪の街並み、南側は松阪駅に通じる商店街通りになっています。
なお、松阪は三井と伊勢屋が発祥の地の、商業が発達した街でした。
写真の踏切は少し高くなっており、左には高さが1.3mしかない歩行者用トンネルがあります。
トンネルは明治時代の古いレンガ造りでしたが、丁度踏切が閉まっていたので頭を天井にぶつけないように腰をかがめて自転車を押して通行している女性がいました。
周辺は殺風景ですが、これからこの踏切のアンダーパス工事が始まります。
この150m南の駅寄りの踏切付近も駐車場や空地が広がっており、その一画の工場跡地ではマンション建設工事が始まっていました。
松阪駅北の2つの踏切の西側一帯は松阪市の再開発地区になっています。
下の写真はJR松阪駅からのJR線の南方向の望遠写真で、150m先に踏切と400m先に陸橋が見えます。
近鉄駅はこの左に並んでいますが、線路は少し離れるので踏切は別々になっています。
丁度近鉄線の踏切が閉まっており、2台の車がJR踏切の左で踏切待ちしています。
かって松阪港大口と松阪市郊外の大石町の間を三重電が走っており、松阪駅の南で立体交差していました。
写真の陸橋はその廃線跡を戦後、道路にしてできたものです。
また松阪市の旧市街の西側を通っていた伊勢電は、松阪市の北部で近鉄とJRを立体交差し、南部でJRを立体交差していました。
その伊勢電も戦後廃止され道路になりました。
その名残が近鉄線の北隣の駅の松ヶ崎駅にある陸橋と、JR線の南隣にある徳和駅にある陸橋で、ここには伊勢電の駅もありました。
この2つの陸橋を通る道は弓状のカーブで松阪市内を通っていますが、これは伊勢電の廃線跡を利用してできた道路です。
Ka7b

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JR、近鉄津駅南の踏切

Ka6a 上の写真は津駅南の歩道橋からの南向きで先に見える踏切は車も人も多い踏切です。
右の2本の線路は複線電化の近鉄線、左の2本は踏切の手前で単線になる非電化のJR線です。
2つの鉄道は大きく右にカーブしながら並行して津市内を南下しています。
津市は藤堂高虎のお城があった古い城下町で、写真の直線方向(南方向)の1.5km先に城跡の公園と市役所があり、その東側一帯が街の中心です。
踏切の先の線路の西側(右)には桜の名所の偕楽公園の小山がありますが、ここは御山荘山と呼ばれた昔のお殿様の別荘です。
その山裾に三重県庁があり、また線路の西側の丘陵地帯には新興住宅地が広がっています。
下の写真は同じ歩道橋からの北向きで中央の青い屋根が近鉄の橋上駅、右端のクリーム色がJRの駅ビルで2つの駅は古い跨線橋でつながっています。
右奥の超高層ビルは津市の再開発ビルのアスト津で、レストラン、店舗、オフィス、ホテルが入居する活気のあるビルです。
昭和の初め頃このビルの下に伊勢電駅があり桑名~津~伊勢間の電車を走らせていました。
当時の近鉄(参宮急)はまだ伊勢中川から津駅まででした。
伊勢電を合併した近鉄は津駅を出てすぐ立体交差でJR線を跨ぎ、伊勢電の線路につなぎ桑名への乗り入れを果たしました。
津~伊勢間には当時、省線(JR)、参宮急、伊勢電の3本の鉄道が競合していましたが、この区間の伊勢電は利用者が少なく昭和36年に廃止されました。
津市内地図を見ると駅東口北側から安濃川塔世橋までの断続的なS字カーブの道と、塔世橋から岩田川河口の津興橋までの緩やかな右カーブの道路がありますが、これらはその廃線跡です(地形図でたどる鉄道史西日本編:今尾恵介)。
Ka6b

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JR関西線河原田駅北の踏切群

Ka5a 四日市駅から2つ目の駅が河原田(かわらだ)駅で、周辺は水田地帯も残る四日市市郊外の住宅地です。
上の写真は関西線ホームからの北向き(四日市方向)で踏切が4つ並んでいます。右側の土手は高架の伊勢鉄道で踏切の道は土手のトンネルで右側に抜けます。
単線の関西線はこの1km先で複線高架の伊勢鉄道と立体交差で合流しています。
下の写真は高架の伊勢鉄道ホームからの南向き(津方向)で、ホーム端の階段から右側の青い歩道橋で関西線ホームにつながっています。
伊勢鉄道はここから津駅まで22kmの、ほぼ複線高架の高規格の線路をもつ第三セクター鉄道です。
しかし1両の気動車を1時間毎に四日市~津間で運転しているだけで、たまたま乗った昼過ぎの車両の乗客は数人でした。
他にはJR東海の名古屋~鳥羽間の1時間毎の2両の快速と名古屋~南紀間の特急がこの線路を走っており大半はJRの乗客です。
関西線は1時間毎の2両の名古屋~亀山間の電車です。
伊勢鉄道はもとは国鉄線でしたが20年前のJR発足時、JR東海の収益改善のため赤字を地元負担にする第三セクター鉄道になりました。
なお四日市~津間の運賃は近鉄480円、伊勢鉄道680円、もしJRのままだったら480円(29km)で、河原田~津間が第三セクターになったため利用者の負担も増えています。
Ka5b

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JR関西線四日市駅北の踏切

Ka4a 上の写真は市内から四日市港へ通じる道の踏切で、踏切の先の左手がすぐJR駅前です。
踏切の通りの両側の歩道はアーケードの商店街になっています。
かってはこの商店街に近いJR駅が街の中心で、近鉄名古屋線の前身の桑名~伊勢の伊勢電は四日市市内を迂回してJR駅と連絡していました。
しかし名古屋への進出を果たした近鉄は迂回線を廃止し、近鉄駅をJR駅前から西1.2kmの場所に移設しました(伊勢電 近鉄の80年:椙山満 上野結城)。
下の写真は踏切の東400mの四日市港の入江です。
ここだけは古い港町の街並みが残っていますが周囲は石油コンビナートの工場に囲まれています。
この港は四日市の偉人稲葉三右衛門が私財を投げ打って造ったものです。
三重県の最初の鉄道は明治23年に開通した草津~四日市の鈴鹿越の関西鉄道で、その駅が今のJR駅です。
鈴鹿越の旧東海道の宿場町だった四日市は、東海道線(明治22年開通)が関ヶ原越になってルートから外れたことに危機感を持ち、京、大阪~(東海道線)~草津~(関西鉄道)~四日市~(日本郵船)~横浜~(東海道線)~東京のルートで巻き返しを考えていたようです。
当時、四日市港から横浜や名古屋の熱田に客貨の汽船(日本郵船)が航行していました。
四日市~横浜は20時間の船旅でした。
しかし四日市は港町としてよりも臨海工業都市として発展し、街の中心も港から離れた近鉄駅になりました。
Ka4b

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JR関西線弥富駅西の踏切

Ka3a JR弥富駅は名鉄尾西線の接続駅で上の写真の右側にあります。
踏切の道はJR線の踏切の先にすぐ名鉄線の踏切が続きます。
この辺りはかって関西線が主役だった時代は賑わっていたのでしょうが今は駅前も含め何もありません。
JR駅の南には橋上駅の近鉄弥富駅があり、そちらは国道1号線につながる駅前広場もあり弥富市の中心になっています。
下の写真は1km西の木曽川に架かるJR線の鉄橋で、その奥に近鉄線と国道1号線の鉄橋も並んでいます。この先でさらに長い揖斐川・長良川の鉄橋もあります。
明治の中頃にできたJR線の2つの鉄橋は地盤沈下で大正時代に架け替えられました。
当時、桑名~伊勢間のローカル私鉄の伊勢電が名古屋への進出のため、残った2つの長大鉄橋を国鉄から払い下げを受けました。
しかし伊勢電は経営破綻し近鉄に吸収合併されました。
大阪から津まで進出していた近鉄はこの鉄橋も引継ぎ桑名~名古屋間にJR線に並行する複線電化の鉄道を建設したため、単線、SL運転のJR関西線はローカル線に追いやられてしまいました。
名鉄も伊勢電の買収を目指しましたが果たせませんでした。当時は私鉄の戦国時代でした(東への鉄路:大木正次)。
Ka3b

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桑名駅北の踏切

Ka1 桑名駅はJRと近鉄の接続駅で、駅の北側にはJR線と近鉄線の踏切が並びます。上の写真はその中間地帯からの駅方向で、左(東)はJR線、右(西)は近鉄線の踏切です。
踏切の道は右方向(西方向)への一方通行で、この中間地帯は車が1台が停まれるスペースです。
駅にはJRと近鉄のホームをつなぐ長い跨線橋があり、電車の利用者はJRの東口でも近鉄の西口でも利用できます。
しかし自転車と歩行者はこの踏切が唯一の通路になっています。
下の写真は西口の近鉄駅前で、駅前には数軒の店舗がありますがすぐ閑静な住宅地になります。
駅の向うには東口の高層マンションが見えますが、東口は広い駅前広場、駅前通り、駐車場があるビルの街になっています。しかし駅前の商業ビルからは店舗の撤退が目立ちます。
駅前は電車の利用者がいて賑わってきたのに、駅前を車に開放しすぎた結果です。
郊外には大きなSCがありドライバーは駅前ではなくそちらへ行ってしまいました。
Ka2

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JR桜井線三輪駅北の踏切

K19d 大神(おおみわ)神社は三輪山を御神体とする日本書紀にも記された古代からの神社ですが、その最寄り駅が三輪駅です。他にも三輪そーめんの産地としても有名です。
上の写真は三輪駅前の商店街通りで、突き当たりが今は無人駅の三輪駅です。
背後には三輪山の裾野だけが見えますが、三輪山は美しい円錐形の山です。
写真左は寿司屋さんで、ここから左の横丁が大神神社への徒歩ルートです。そこには数軒のそうめん屋さんが並んでいます。
下の写真は横丁を抜けた大神神社への踏切です。今は車で訪れる人が大半で踏切の先の境内は広い駐車場になっています。
踏切を渡った右手には臨時の三輪駅改札口がありますが普段は閉鎖されており、参拝客の多いお正月などに駅員がきて開くようです。
桜井線は不便なので休日には大神神社前から近鉄桜井駅への連絡バスもでます。
かっては参拝客で賑わった三輪駅前商店街は車社会になりすっかり寂れました。
今の時代、1時間毎ではなくせめて30分毎に電車を走らせないと利用者は減るばかりです。
桜井線沿線はそれなりの街で名所にも恵まれているのだから。
K19c

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JR桜井線桜井駅西の踏切

K18d_2 上の写真は桜井駅西の踏切の北向きで、踏切の先で少し下って近鉄線のガードが続きます。この左側にJRの橋上駅と近鉄の高架駅が南北に並びます。
桜井駅の東側でJR線と近鉄線が立体交差しているので、桜井駅南口再開発事業ではこの踏切はそのまま残されました。
踏切の手前を右折すればすぐ南口で、駅前には桜井市の再開発ビルがあり、そこにはスーパーと専門店のほか市の施設もあります。
3階は大きな駐車場になっていますが、周辺の道路沿いの大型スーパーとの競争は厳しいようです。
踏切から南に1km行くと安倍高明を祀る安倍文殊院があります。
数年前に野村万作主演の映画「陰陽師」が大ヒットしましたが、安倍高明は陰陽師の第一人者で国家を禍から守る重要な政府高官でした。
下の写真は彼が星占いを行った境内の高台にある天文観測の地です。
文殊院の入口は細い田舎道に面しており以前は車でのアクセスが大変でしたが、この映画で観光客が増えたので裏山を切り開いて道をつけ、今は観光バスでも訪れることができます。
桜井市の名所としては他にも藤原鎌足を祀る談山神社、牡丹がきれいな長谷寺などが有名です。
K18e

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JR桜井線香久山駅東の踏切

K17a  桜井線は日中は1時間に1本だけ電車が走るローカル線です。
沿線を廻るのに電車では不便なので、貸自転車で三輪駅まで出かけました。
八木の札の辻から昔の街道を東へ自転車を走らせます。両側に古い民家が建ち並ぶ狭い道がずっと続きます。
3km先で香久山駅前に出ました。駅前に郵便局があるだけの寂しい無人駅です。駅のホームに出て撮ったのが上の写真です。
駅の裏側は農村風景で、遠くには高取山に連なる山々が見えます。
万葉集で有名な天香具山と今は広い草原の藤原京は、右手方向(南西)にありますがこのホームからは見えません。
香久山駅から街道をさらに進むとすぐ、斜めに桜井線を横切る踏切です(下の写真)。
街道を進むに従って除々に民家が建て込んできて、桜井市の中心の本町商店街のアーケードの通りに出ます。
八木から桜井までのこの道は昔の街道の面影が残る道筋でした。
K17b

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